神戸城の大手門

神戸城の大手門

■織田信長のM&A戦略
織田信長は桶狭間の合戦で今川義元を破り尾張の足元を固めてから、隣国へ打って出ます。美濃平定の前後から、併行して伊勢侵攻をはじめますが、まだまだ経営資源が乏しい織田軍が伊勢でとった戦略がM&A戦略。伊勢国には北畠氏や関氏につながる名族が多かったため婿養子として入り込み、事業承継してから最終的に家を乗っ取る作戦です。

北畠氏ー織田信雄(2男)
長野市ー織田信包(信長の弟)
神戸氏-織田信孝(3男)
3氏族に入り込み乗っ取りました。

鈴鹿にあったのが神戸城で神戸氏の居城でした。神戸氏は滝川一益の侵攻に対して戦いましたが最終的には和睦し織田信長の3男神戸信孝を養子に迎え入れます。神戸信孝は城を修築し5重6階の天守を築きました。織田信包の津城、織田信雄の田丸城と伊勢では大きな天守をもった城が3つもそびえることになります。

■神戸城の大手門
神戸城は石垣と郭跡だけとなり遺構は残っていませんが大手門は四日市の西日野町にある顕正寺に移築されています。ポリテクセンター四日市が西日野にあるのですが、仕事のついでに顕正寺まで足を延ばして見てきました。大手門は顕正寺の山門として利用され、高麗門になっていますが織田信孝の時代ではなく江戸時代に神戸城を居城とした本多氏のものになります。

忘年会(ビストロ キャトル)

ビストロ キャトル

日曜日は船場総研(船場勉強会のOB組織)の忘年会、昨日、月曜日は大阪中小企業診断士会・総務部会の忘年会でした。

ただし、いつも飲みに行っているのを12月だけ忘年会と呼んでいることも多く、純粋な忘年会は数件だけです。昨夜は総務部会が終わってからいつもの飲み会でしたが、お祝い事もあったので本町にあるビストロキャトルというオシャレなお店に。もっともオジサンには少し場違いなお店です。

コースは
・前菜6種の盛り合わせ
・季節野菜とシーフードのサラダ
・ズッキーニと小海老のフリット
・丸ごとローストチキン
・クリームパスタ

でローストチキンが絶品で、飲み放題のワインもおいしかったですねえ!店内は完全禁煙なので愛煙家は寒い中、外のテラス席へ行って煙草を吸っておりました。

中小企業診断士試験 2次筆記

中小企業診断士試験 2次筆記 合格発表

大阪府中小企業診断協会へ行くと入口に中小企業診断士2次試験結果が張り出されていました。

口述試験がこの12月16日(日)に行われ、12月25日(火)のクリスマスの日に合格発表が行われます。口述試験はほぼ通りますので素敵なクリスマスプレゼントになりそうですね。

蘇我氏の故郷

宗我坐宗我都比古神社

大和八木駅から大阪方面へ一駅行ったところに真菅(ますが)駅があり、駅のすぐ近くにあるのが宗我坐宗我都比古神社(そがにますそがつひこじんじゃ)です。神社がある町の名前が曽我町で、古代豪族・蘇我氏の本貫と言われています。神社の通称は入鹿宮になっていて推古天皇の時代に蘇我馬子が社殿を建てたと言われています。現代は車がよく通る道沿いにあるので、あまり落ち着かない神社になっています。 

古代、葛城地域(高天原の説があります)を本拠にした葛城氏がいて大王(天皇)の奥さんは葛城氏から迎えていました。力をもった葛城氏でしたが雄略天皇の時に皇位を巡る争いから滅ぼされてしまいます。 

■蘇我氏とは 
諸説ありますが蘇我氏は葛城氏の一族だったようで、我蘇り(われよみがえり)なんて意味深な名前は没落した葛城氏を蘇らせたからかもしれません。ただ読み方がソガというだけで、神社名は「宗我」、地名は「曽我」、人名は「蘇我」になっています。出雲大社の本殿のまさに裏側にあるのが素鵞(ソガ)社で出雲との関係を称える人もいます。 

後で歴史を書いたのが勝者の藤原氏なんで、蘇我氏は謎だらけになってしまいました。乙巳の変で燃えてしまった「天皇記」と「国記」が伝わったら面白い古代史が分かったんですがねえ。

ムダを発見するための業務とデータの流れの見える化

ポリテクセンター四日市

先週に引き続きポリテクセンター四日市で研修講師。四日市駅からナローゲージの四日市あすなろう鉄道に乗って西日野駅へ。西日野駅から5分ほど歩いたところにポリテクセンター四日市があります。研修テーマは「ムダを発見するための業務とデータの流れの見える化」で6時間のコースです。

午前は
・BPR(ビジネスプロセス・リエンジニアリング)の考え方
・あるべき姿を考える
・ビジネスプロセスの表記法
・データの見える化

午後は
・DMMとDFD
ということで機能の洗い出し&業務フローを作成する演習を中心に行いました。

IT化を推進するためのつながる業務への理解(サンワーク津)

サンワーク津

朝からサンワーク津という研修会場へ。

「IT化を推進するためのつながる業務への理解」のセミナー講師です。前回のポリテクセンター四日市で行ったのと同じ内容のセミナーですので準備は少し楽でした。ただ参加者の意識がけっこう高く、API連携を実際の業務でも行いたいといったマジな質問が多くありました。

IoTやAIの話もし、ポリテクセンター四日市はUQ Wimaxが圏外になっていましたがサンワーク津はきちんとつながったのでIBMのワトソン(人工知能)を実際に使ったデモなども行いました。

T-Site(枚方 蔦屋書店)

枚方・蔦屋書店

先日、京阪枚方市駅へ行ったついでに、やっとこさT-Siteへ行ってきました。くらわんか舟の伝統がある枚方には似つかわしくないオシャレなお店ですね(笑)。

行くのが遅いって(笑)。

T-Siteはカルチュア・コンビニエンス・クラブが運営する複合商業施設で、代官山・湘南に続く3店舗目になり、中心になるのが蔦谷書店です。 LUCUA osakaにある梅田・蔦屋書店は実に本が探しにくいですが、枚方・蔦屋書店はジャンル分けされていて探しやすいですね。

ご存知の方も多いと思いますがTSUTAYA創業の地が枚方で蔦屋書店という名前でスタートしました。てっきり喜多川歌麿や東洲斎写楽を世に送り出した蔦屋から名前をとったと思っていたら、お爺さんが置屋を営んでいて、その屋号が蔦屋だったそうです。

カルチュア・コンビニエンス・クラブが創業の地である枚方に立派な施設を作ったのとは対照的に、イオン(岡田屋)創業の地である四日市の諏訪商店街には何の店も残っていません。岡田屋の家訓が「大黒柱に柱をつけろ」ですので、創業の地にはなんのこだわりもないようです。

商工会ってどんなところ?

アスト津

三重県中小企業診断協会がアスト津で毎月1回開催しているのが診断研究会。車社会の三重県なので研究会が終わると、そのまま解散ですが12月だけは忘年会がセットになっています。そのためか、いつもよりも参加者が増えます(笑)。

昨夜は三重県商工会連合会・南部経営支援センターの村田裕昭氏(中小企業診断士)に「商工会ってどんなところ?」をテーマにお話いただきました。昔、中小企業施策(中小企業診断士試験の科目の一つ)で都市部が商工会議所、郡部は商工会と習いましたが市町村合併の影響で同じ市に商工会議所と商工会が混在する形になっています。

■三重県の商工会(商工会数 23)
会員数 10,783人 (内45歳以下の青年部 873人、女性部 2,147人)
経営指導員 75人

従業員ゼロの会員が41%で、従業員5人以下の小規模企業が80%となります。街の煙草屋さんが廃業して自動販売機になったりして商工会地区の商工業者は減っており過去20年間で23.9%減少しています。商工会の会員数は38.8%の減少になっています。

商工会独自にいろいろな取り組みをしており多気町商工会が行っているのが「おたコス」事業。コスプレの祭典です。全国から集まったコスプレーヤーが神社、学校などの施設を舞台に撮影を楽しむロケーションコスプレが展開されるそうです。へ~え、そんな面白い企画があったんだあ!

津北、みえ熊野古道商工会では真面目に今話題の外国人技能実習生制度に取り組んでいる内容などを紹介いただきました。研究会が終わったらお待ちかねの忘年会です!

徳政令 なぜ借金を返さなければならないか

正長元年柳生徳政碑

講談社現代新書から「徳政令 なぜ借金を返さなければならないのか」という面白い本が出ています。

■地域金融が崩壊
室町時代には徳政令という借金がチャラになる滅茶滅茶な法令が出されていました。室町時代の金融業は借上や土倉が担っていましたが、本業は荘園の代官請負業で金融は副業でした。地方では代官が荘園経営を担っていて地域の金融機能を支えていましたが税負担の増大と天変地異などの発生で、この地域金融が崩壊していきます。今でいうと信金がつぶれる状況で金融が都市銀行(借上や土倉)に集中する形となります。これで借上や土倉は本業が金融業になっていきます。

また室町幕府は奥向きでいろいろと浪費していてプライマリーバランスなんか考えていませんでした。消費税対策だといってバラマキを考えているどっかの政府と同じ状況ですね。この浪費の費用を京都の借上や土倉が担っていましたが、さすがに苦しくなりだし徴収が難しくなります。

■徳政令を求めて一揆がおきる
そこで幕府はいろいろな所から税金をとろうとしますが、これで一般庶民が苦しむことになり徳政令を求める動き(一揆)になり、実力行使で徳政令が出されます。一揆というと江戸時代の百姓一揆を想起しがちですが、そんななまやさしいものではなく、この当時の一揆は戦です。

結局は信用できない社会となり社会全体が疲弊していきます。そら戦国時代になるわけです。

この本にも出てきますが柳生の里の入口に疱瘡地蔵があり、この地蔵に正長の土一揆によって徳政令を勝ち取った郷民の文が書かれています。ただし山の中にあり観光客は誰もいません(笑)。正長元年柳生徳政碑として国の史跡になっています。

言志四録

言志四録

一灯を掲げて暗夜を行く 暗夜を憂うことなかれ ただ一灯を頼め

ご存知、言志四録の一節です。

角館の武家屋敷にいくつかの書籍が展示されていて論語や大学などと並んで言志四録がありました。言志四録は美濃国岩村藩出身の儒学者・佐藤一斎が後半生の四十余年にわたって書いた語録です。冒頭以外にもたくさんの言葉を残しリーダーのためのバイブルとして注目を集めました。現在でいうとドラッカーのようなものでしょうか。

言志録、言志後録、言志晩録、言志耋(てつ)録の四冊から構成されているため言志四録と呼ばれています。佐藤一斎の門下生には山田方谷、佐久間象山、渡辺崋山、横井小楠らがおり幕末に活躍した人物ばかり、”西郷どん”も生涯、この言志四録を愛読していました。今は言志四録を講談社学術文庫で読むことができます。