松塚環濠集落

松塚環濠集落
松塚環濠集落

松塚環濠集落です。

戦国時代、大和では興福寺が守護職を務めていて、核となる戦国武将はいませんでした。しかし北では筒井・古市・箸尾氏が、南では越智・十市・楢原氏が、宇陀では秋山・沢・芳野氏が勢力を伸ばし、それぞれが引っ付いたり敵対したりと大和も戦乱の時代でした。

この時代、村や町の周りを堀で囲んで防衛する環濠集落が作られます。寺が中心となると寺内町となります。また戦国時代の堺は堀で囲まれた環濠集落というより城でした。近鉄・大阪線の普通しか止まらない松塚駅を降りると、駅のすぐ近くに嚴島神社(市杵嶋神社)があり、水堀が残っています。町を歩くと道が狭く、まっすぐの道はほとんどありません。また西側は葛城川が堀代わりになり水堀は北、東、南に造られました。北西にある琴平神社のところが高台になっていて櫓代わりになっていたようです。

鳥見の霊畤(大嘗祭)

鳥見の霊畤(大嘗祭)
鳥見の霊畤(大嘗祭)

カレンダーが祝日じゃなかったので、すっかり仕事だと思っていました(笑)。

本日は新天皇の即位。皇位継承に際しては大嘗祭(だいじょうさい)が行われ、行う場所を霊畤(れいじ)と呼びます。日本で最初に大嘗祭を行ったのが神武天皇で場所は鳥見山にある鳥見の霊畤で、現在の桜井市にあります。戦国時代は城跡となって霊畤の場所は外山城の郭になっています。

他に天皇家に伝わる三種の神器(八咫鏡、草薙剣、八尺瓊勾玉)も重要です。ただし、八咫鏡は伊勢神宮に、草薙剣は熱田神宮に納められているため崇神天皇の時代に鏡と剣のレプリカが作られた、勾玉と共に宮中に伝わったとされています。

■三種の神器のドタバタ
ところが源平の戦いで平氏が逃げる時に安徳天皇とともに三種の神器が持ち出されてしまいます。壇ノ浦の戦いで入水する時に三種の神器も海に沈み、なんとか鏡と勾玉は救い出されましたが剣は見つかりませんでした。後鳥羽天皇は発見の祈祷と捜索を命じますがダメでした。この時にいろいろと理屈をつけて別の剣をレプリカとします。

次に起きるのが南北朝の戦いで南朝方が三種の神器を持ち出してしまいます。この頃から天皇自体が徳であり三種の神器は必要ないという論理が展開されだします。

大和鈴山城

大和鈴山城
大和鈴山城

近鉄五位堂駅から北へ10分ほど歩くと、かつらぎの道という散歩道があって、ここを入ってすぐ左手の丘陵上にあるのが大和鈴山城。郭跡がしっかり残っています。

堀切から城の中に入ることができます。大和鈴山城は単郭で四周に堀を巡らし、櫓台と土塁で囲まれています。誰が造った城か分かりませんが、このあたりは岡氏・高田氏・万歳氏などの大和武士が活躍した地域です。

大和鈴山城は馬見丘陵の西南端に位置しており、馬見丘陵は葛城氏の古墳群(馬見古墳群)で有名です。香芝市の発掘調査を見ていると3つの古墳があって、2号墳がそのまま露台として使われていました。入口の土橋のところにも1号墳があり、古代の古墳を活用して城造りしていたようです。

五位堂という大阪のベッドタウンの中に山城がしっかり残っているのがいいですねえ。

LEC梅田で経営情報システムがスタート

LEC梅田
LEC梅田

本日は中小企業診断士の2次筆記試験日ですが、LEC梅田では来年度試験に向けての講座がスタート。私が担当している経営情報システムが最初の講座になりましたので。診断士の勉強方法などについても話をしてきました。

受講生には大学3回生もいて、これから就活なんだそうで、講座が終わってから就職相談にも、のっておりました(笑)。私が大学生の時なんか中小企業診断士なんて資格があることも知らなかったのに、若いのにえらいなあ。

ファイティング・コンサルタンツ研究会

中百舌鳥
中百舌鳥

中小企業診断士の研究会であるファイティング・コンサルタンツ研究会です。なんやかんやで17年ちかくやっています。

堺の深井にある株式会社ユニバーサルCEの会議室に集まって討議。
第一号議案ー忘年会 12/14(土) 例年通り黒門市場の寿恵廣に決定
第二号議案ー歴史散策 11/23(土)飯森山城の山城体験に決定。知りませんで~え!
第三号議案-深井の会議室が使えなくなるので拠点をどこにするか協議。いくつか候補が出ました。

無事に討議が終わり、中百舌鳥へ出て立ち飲み屋さんへ。いつも行っている立ち飲み屋さんが休みだったので駅の反対側にある立ち飲み屋さんへ。結局、討議の時間よりも長く飲んで散会しました。

若江・八尾の戦い(常高寺)

常高寺
常高寺

八尾の商店街にあるのが常高寺。行基創建と伝わり河内音頭発祥の地ということで境内に碑が建っています。ここが若江・八尾の戦いの舞台です。

大坂冬の陣が終わった後、徳川との和睦の条件で、大坂城の堀を埋めてしまい防衛能力が低下。籠城はできず討ってでるしかありません。大坂城からは徳川家康、秀忠を狙って木村重成、長宗我部盛親、増田盛次が出陣し、徳川方の井伊直孝、藤堂高虎と戦います。

これが若江から八尾近辺が戦場となった若江・八尾の戦いです。若き木村重成は自ら槍を取って戦いましたが討死。結果は痛み分けとなりましたが藤堂勢、井伊勢も大きな被害をうけました。

八尾の戦いでは常高寺の門前が激戦地となり藤堂高虎側の将士71人が戦死しています。

八尾城

八尾城
八尾城

物部の神様である八尾神社境内に矢尾城址碑がありますが、城がどこにあったのかは分かっていません。

室町時代、八尾の豪族だった別当兼幸(顕幸)が築城したと伝わっています。古文書には1337年(建武4年、南朝は延元2年)に南朝方の高木遠盛らが八尾城を攻めたとあり、この頃には城がありました。南北朝から戦国時代にかけて八尾城は合戦の舞台や陣地となっています。

八尾城は戦国時代になると池田丹後守教正の居城となります。池田丹後守教正は三好長慶の後継者である三好義継が若江城主の頃、補佐した家老の一人ですが、やがて松永久秀に属し、久秀が信長に降った時は同じく信長配下になりました。イエズス会が本国に送った報告では、キリシタン武将だった池田丹後守教正の影響で城下には、数多くのキリシタンが住んでいたようです。飯盛山城の城下にあった三箇のような当時の八尾はキリシタンの町だったのでしょう。

河内の城といえば高屋城、若江城でしたので八尾城の戦略的位置づけは相対的に下がっていき、やがて廃城となったようです。

クッキーっておいしいの?

クッキーといってもお菓子のクッキーではありません。ネットショップで買物する時、決済の途中でやめても再開すると買物カゴに商品が残ったままになっています。これはクッキーという仕組みでできています。

セキュリティの関係から最近、クッキー取得に関して同意を求められるようになっています。理由はどこにあるのでしょうか。J-Mottoで書いた経営コラムです。ぜひご覧ください。

→ クッキーっておいしいの?

向きがずれている郵便ポスト

向きがずれている郵便ポスト
向きがずれている郵便ポスト

津市・北丸ノ内の国道23号線沿いに郵便ポストがあります。近くには第三銀行・津支店があります。

通るたびに不思議だったのが郵便ポストの向き。微妙に30度ほどずれています。歩道も広いので、まっすぐに郵便ポストを置いても問題はなさそうですが、なぜかずれています。台風などの風を考慮して、この向きにしたのか、工事をした時に何かの手違いでこうなったのか謎は深まるばかり。

何年もずれたままでしたが、最近、郵便ポストが新しくなり向きも普通になってしまいましたあ。微妙にずれていた方が味わいがあったのに(笑)。

物部の神様 八尾神社

八尾神社
八尾神社

近鉄八尾駅の近くにあるのが八尾神社。

祭神は宇麻志麻治命(ウマシマジ)で饒速日命(ニギハヤヒ)の子供になります。ニギハヤヒは神武東征より前に天磐船に乗って河内国(大阪府交野市)に降り立ち、大和に移った天津神で、最後は神武天皇を助け大和に迎え入れます。この神さまが、物部氏の祖となります。

八尾市、東大阪市から交野市にかけてが物部氏の本拠地で、蘇我馬子・聖徳太子連合軍が攻めた物部守屋の館は東大阪市と八尾市のほぼ間にある衣摺といわれています。戦勝したお礼に聖徳太子が建立したのが四天王寺になります。

東大阪や八尾の神社をまわると本当に物部の神様ばかりで楽しめますよ。