久しぶりの対面型セミナー

大阪商工会議所・北支部で「Webを活用して販売促進、お金の管理」というタイトルでセミナーをしてきました。

大阪商工会議所・北支部
大阪商工会議所・北支部

最近はオンラインセミナーばかりで対面型セミナーは久しぶりです。12月になったらコロナもおさまっているだろうと4ケ月ほど前に事務局で企画が始まりましたので、まさかこんな事態になるとは誰も想定してませんでした。

講師席だけでなく受講席にもアクリル板をおいて万全の体制でのセミナーでした。セミナーの対象者は創業5年以内で、創業して苦労することベスト3が
1、販路、顧客開拓 → 安価でWEBを活用してお客さんを増やしたい
2、資金繰り、資金調達 → 手軽にわかりやすくお金を管理したい
3、財務・税務、法務の知識 → 知らないと損をする
ですので、1と2を中心にしゃべりましたが、フェースシールド越しにセミナーするのは、やはり慣れませんねえ。

清水山城(屋敷跡)

清水山城は三方の尾根上に郭が続く広大な山城ですが、それ以上にすごいのが麓の高台にある屋敷跡。

清水山城 西屋敷
清水山城 西屋敷

いわゆる根小屋なんですが、これがめちゃくちゃ規模が大きく谷を挟んで西屋敷と東屋敷があります。大きさは南北約350m×東西約550mで東京ドームでいうと4個分以上あります。歩きましたが広いのなんの!さすがに疲れます。

一辺を20mほどの土塁で区切られた方形の区画がたくさん残っています。西屋敷には「オウテ」という地名が残っており、道を登っていくと主郭にたどりつきますので大手道だったのでしょう。反対に進むと土塁に挟まれた狭い道となり「ダイモン」という地名が残っているので、ここに大門があったようです。この城を攻めるのは大変だったでしょうね。

清水山城(木戸の城)

近江高島にある清水山城、信長公記に登場する「木戸の城」がこの清水山城と考えられています。大きな城で主郭までたどりつくのが大変。途中でギャーギャー騒いでいる声が聞こえ、何事かと思ったら野生の猿が走り回っていました。ようやく主郭までたどりつくと琶湖の竹生島や対岸の長浜も見られます。

清水山城(木戸の城)
清水山城(木戸の城)

主郭の周りには畝状竪堀が何本も掘られており、高島は浅井・朝倉と手を組んでいたので織田信長と対峙した時に整備されたのかもしれません。高島を攻めたのは明智光秀です。

近江源氏である佐々木氏は六角、京極に分かれますが他に佐々木高島がいます。この佐々木高島がさらに別れ「高島七頭(なながしら)」と呼ばれる七家に分かれます。この七家の筆頭が越中氏で清水山城はこの越中氏の城といわれています。

日爪城(根小屋)

日爪城の麓にあるのが南谷遺跡。いくつもの段になった平坦地があり「ねごや」という地名がついています。

根小屋
根小屋

■根小屋とは
根小屋とは”山の根にある寝るための小屋”という意味で全国各地に「根小屋」という地名があります。山城の麓にあることが多く、城主や家臣の平時の館や戦時に住民が逃げ込む場所でもありました。城主は民衆の安全を保障しないといけないために避難地を用意していました。

日爪城の根小屋では土塁や堀がありますが、石仏が出土していますので寺坊の可能性もあります。明智光秀の日爪城攻めで焼け落ちたのでしょう。

日爪城

日爪城は近江高島にある山城で主郭からは琵琶湖が眺められます。東郭群と主郭の2つに分かれていて郭の間を長い土橋が結ぶ独特の山城になっています。地元の人がよく整備していて看板もバッチリある稀有な山城です。

日爪城
日爪城

このあたりは木津荘という山門領(比叡山)があったところで戦国時代には饗庭荘と呼ばれていました。饗庭氏は西林坊、定林坊・宝光坊の三坊に分かれ、日爪は西林坊が領していたので日爪城は西林坊が整備していたのでしょう。

「麒麟がくる」で比叡山の焼討が行われましたが、この後も信長は浅井・朝倉方と戦っており明智光秀が山門領だった高島郡を攻略しています。この時に日爪城は落城したようです。

はるかなりマイドーム大阪

大阪産業創造館からマイドーム大阪へ行く最短経路が本町橋北側にある阪神高速の本町出口の橋を渡ってシティプラザ大阪を突っ切っていくルートです。

本町橋
本町橋

高速道路が一般道に入るところにある橋なので本来は自動車専用ですが、そこは大阪人ですから関係なしに渡るためなのか人が一人だけ通れる通路が作られていました。久しぶりに大阪産業創造館からマイドーム大阪へ行こうとすると工事で通路が閉鎖。しょうがないのでシティプラザ大阪を斜めに突っ切っていこうとしたら、こっちも閉鎖になっていました。

ウーン、マイドーム大阪が遠くなってしまった。

飛び出し坊や

近江の山城に登ろうと街中を歩くと必ず目にするのが「飛び出し坊や」。ドライバーに飛び出しを注意喚起するためのもので元々は八日市市(現在の東近江市)で生まれました。八日市といえば天秤棒一本で全国を巡った近江商人の故郷です。

飛び出し坊や
飛び出し坊や

これが全国に拡がりましたが、設置数ナンバーワンといえば滋賀県でしょう。県内のいたることろで見ますが、いろいろとバリエーションがあり安土にあったのが信長バージョンでした。ストラップやクリアファイルなどのいろいろなグッズも売られています。版権はどこが持っているんだろう。

ソースの二度漬けOK

LECの講座が夕方までだったのでホワイティ梅田にあるヨネヤへ。赤垣屋は、あいかわらずの「密」状態で敬遠。ヨネヤの立ち飲みカウンターに立ち寄ると、まずは従業員が検温と手のアルコール消毒。

ソースの二度漬け
ソースの二度漬け

串カツ名物のソースとキャベツ(カウンターに置いてあるのを好きなだけ食べる)は一人用に変更されています。というわけで「ソースの二度漬けOK」と書かれていました。

そうは言いましても長年しみついた習慣は、そう簡単に変わりません。結局、一度漬けだけで終わりました。

LEC梅田で講座

今日は「勤労感謝の日」。三連休だというのに、せっせと働いております。

LEC
LEC

LEC梅田で中小企業診断士講座の経営情報システムを担当しており、担当分は本日で終わり。経営情報システムはCRMやらSCMなどの3文字熟語が多い科目です。特にインターネットのプロトコルがやっかいでARP(IPアドレスをMACアドレスに変換)、NTP(時刻あわせ)など暗号のような用語を覚えなければなりません。

最近はRPA(ロボティクス・プロセス・オートメーション)などAIやIoTがらみで新たな用語も増え、ますます大変になっています。

毎回、受講生から「これ覚えなければなりませんか?」という質問が出ますが「ハイ」とやさしく答えております(笑)。

黒門(宇陀)

古代、阿騎野(あきの)は薬狩り(薬草摘み)する土地で、片岡鶴太郎さんが出ている救心製薬のCMに薬狩りの絵が出てきます。

黒門
黒門

南北朝時代は秋山氏が支配し、宇陀には他に澤氏、芳野氏がおり宇陀三将と呼ばれていました。秋山氏は松永久秀と組んでいましたが豊臣の世の中となり秀吉の弟である豊臣秀長が大和国国主として入封すると秋山氏は追放されます。

■黒門(松山西口関門)
その後、城主がコロコロ変わりますが、関ケ原の合戦の後に入ったのが福島正則の弟である福島孝治。この頃に作られたのが黒門(松山西口関門)で、現在も唯一残っています。宇田川に橋がかかっており橋を渡ると左に折れた所に黒門があり、黒門を過ぎると今度は右に折れさせるようになっていて大手道としてこちらも残っています。

大坂の陣の後は織田信雄が入り、織田家が4代続き丹波国柏原に移ってからは幕府領になります。